#TaToo

 

 3/6はヨシモト生誕祭!ヨシモトです。

 

 最近、巷では #KuToo という動きが見られるようになりましたね。苦痛と靴をかけた表現で、女性のパンプス強制に疑問を呈するSNS上の運動。

 外見における非合理的な制限に、最近になってようやく批判の声が出てきました。いや、多分もともと出てきてはいて、SNSが浸透したことでその声が表面化した、ってだけだとは思うんですよ。

 

 一億総評論家時代とはよく言ったもので、意見を世界に発信すること自体は容易になりました。でもそのぶん批判もしやすくなって。傷ついていた人々が声をあげた結果、無意識のうちに傷つけていた人々の意識改革に繋がった。そして、想像力の足りない加害者、ひいては「強い」被害者は、声をあげることそのものに対してバッシングする。

 

 構造が複雑になってるんですよね。もはや二項対立の問題じゃない。最近はやりのビジネス本『FACTFULNESS』にもそんなことが書かれていたような、書かれていなかったような。二項対立で人は物事を捉えたがる……的な。入試現代文にもその原因の一端はあるような気がするなぁ、とも思いつつ。論理展開が楽なんですよね、二項対立だと。

 

 自分が一番不可解だと思ってるのはタトゥーですね。日本のタトゥーに対する偏見やばくないですか? 「温泉入っちゃダメ」ってそれもう完全にアウトでしょ。平等どこいった。「刺青=罪人」という過去の構図をそのまま引きずってるのか、それとも「刺青=暴力団関係者=あまり入れたくない」的な発想? 何はともあれ、論理の飛躍は否めない気が。

 

 自分自身タトゥーを入れたいし、ピアスだってバチボコ開けたいんですけど、温泉好きだから入れられないし、耳だって古い価値観の親からめちゃめちゃ反対される始末。TBSのクレイジージャーニーとかでは、ボディハッキングをクレイジーと評しているわけですから、うーん。結局何も変わってないじゃん。つまんない。

 

 文化先進国なんてどこ吹く風。GGGIも110位だし、日本がどんどん出遅れててあたし寂しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人の価値観を変えられるアセットを持った企業に就職したいですね。