もはやギャグ
コートを初売りでめっちゃ安く買えました、ヨシモトです。
“LGBTばかりになったら国はつぶれる”|日テレNEWS24
いやギャグでしょ。冗談はヨシモトさん。
結局平沢氏が言いたいのも、かつて杉田氏の発言にあった(国家にとっての)「生産性」がないっていう、要は「LGBTQ+が増えたら子供できないし国が滅ぶよ!」みたいなことなのだろう。
生産性云々の話は杉田氏の時にもう出尽くしたわな。そもそも原義的に考えると、「働きにくい」と考え労働を忌避していた層が働けるようになれば生産性は上がる。んで、子孫繁栄的な「生産性」でいえば、論理の流れがわからない。そうですね、一部子供は作らないかもしれませんね、でも子供を作らないヘテロセクシュアルの人々と苦しみ方は同じですか?(もちろん、両者ともに苦しみを抱えている可能性は十分にあります)って話。
つーか「LGBTQ+が増える」と社会制度になんの関係が。例えば性的指向に関して言えば、私が急に「男性のことも性的に愛せ!」と言われても難しいように(自分はクエスチョニングではあるんですけど)、自分の意思で容易に変えられるものではないわけで。だからこそ、「黙らされてきた」マイノリティの歴史があるわけで。性自認だって、社会に依拠して決まるわけではないし、「身体的性とは異なるな」という自覚があること自体を黙らされてきた(もしくは「異ならない」と言い聞かされてきた)。
だからこそ、今苦しんでいる人たちがいて、その人たちをふくめ、一人一人が自分らしく生きられる社会を実現したい。「黙らせる」ことのない社会にしたい。そのためには、今のままだと黙らざるを得ない人々に何か不都合が生じないよう社会制度などを整えていきましょうって話で。……あ、ヘイトスピーチとかは別の議論ですよ。自己表現と、誰かを傷つける行為を同一視するべきではないと思っているので。
話戻します。「セクシュアリティによって苦しむ人がいない世界」の実現を突き詰めると、性別という概念そのものを取っ払おう、っていう方向に行くんじゃないですかね。
でもここは非常に慎重になる必要があって。というのも、性自認が身体的性と異なる人々の中には、「男/女らしさ」みたいなものを望む傾向もあるわけです。構築主義的には確かに「その性らしさ」みたいなものは人工的と言えるかもしれませんが、かといって、「男/女らしさ」の存在自体を悪としてしまえば、今苦しむ人々の苦しみを軽視している、とも捉えられかねない。
とはいえ私は、そういった苦しみ自体も「性別」という概念が存在したからであり、「もしなかったら……」という仮定を既に「ある」世界で行なっている時点で、きわめてナンセンスだと思っています。それゆえに私はクエスチョニングを自認しています。喋る時の一人称は「僕」ですけどね。
胸糞悪いからAVみてさっさと寝よう。