触れてきたことば

 

 次ブログを更新するのは、内定を確保してからにすると今決めました、ヨシモトです。

 

 こう見えて自分はことばが好きなので、最近触れたことばをぽわぽわ記録します。ほんとうに備忘録。

 

 正義だの善意だのを振りかざして「お前のために」と言いながら、他人の心とか身体とか時間とかお金とかあらゆるリソースを食い散らかす。友人だと思っていた人間が至近距離から刺してきて、自分を正当化する。構造的には水商売で起きることと何ら変わらないのに、現実はフィクションではなく現実であって、対価も支払われないうえに出口がない。(佐々木ののか氏のnoteより)

 

しかし、ほかにだれのところへも、どこへも行き場がなかったら! だって、どんな人間にしたって、せめてどこかへ行き場がなくちゃいけませんものな。なぜって、人間、いやでもどこかへ行かなくちゃならんときだってあるんですから!(ドストエフスキー罪と罰

 

遠い祖先の時代から長年にわたってサバイバルするために必要だった本能――差し迫った危険からとっさに逃れるための「瞬時に何かを判断する本能」、悪い予兆を聞き逃すまいとする「ドラマチックな物語を求める本能」――が、世界についてのねじれた見方を生んでいる。(中略)

良いか悪いか、正義か悪か、自国か他国か。世界を2つに分けるのはシンプルだし、直観に訴える力がある。これが「世界には分断が存在する」という考え方が根強く残っている理由である。そしてこうした考えが現在の世界の見方に、大きなバイアスをかけている。(しいたに氏による『FACTFULNESS』要約

 

良いは悪いで、悪いは良い。(シェイクスピアマクベス』)

 

 文字を摂取することをやめたら、自分が自分ではなくなっちゃいますからね。適量を楽しく摂取。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 就活は案外楽しい。