くちぐせ
長い間放置してしまうと、逆にいつ再開すればいいかわからなくなることってありません? ありませんか、そうですか。どうもこんばんは、ヨシモトです。
口癖、というのは恐ろしいものですよね。
私はよく「口から生まれてきたような子」という表現をされてきました。ピッコロとでも名乗ればいいのでしょうか。脳味噌が何か指令を飛ばす前に、口が勝手に動き出す感覚。これは確かにあるんですよね。災いの元がべらべらべら。完全に「私」から独立しているような気がしてなりません。
沈黙は金、雄弁は銀とはよく言ったもので、私は銀どまりの人生を送ってきました。何であれば、銀どころかメタリックカラーにすらなれないこともしばしば。
相も変わらず話が右往左往するあたり、自分の本質が変わっていないことがよくわかります。そうだ口癖の話。
私の口癖は、コロコロと変わります。六月ごろからは「承認欲求」というフレーズが大好きで使っていたのですが、ここ最近になって「おっぱい」「おちんちん」しか言えなくなってしまいました 。口癖の偏差値が六億くらい下がっていますね。
ただ、「口癖」と言いながら、その悪癖が露呈する場は基本的にSNSでした。TwitterであったりLINEであったり。それがついに、現実世界の、私の口を蝕み始めたのです。
非常に困っています……が、少し興味深い部分もありませんか?
というのも、現実での口癖がSNSに反映されるならまだしも、SNSでの「手癖」が現実に反映されているのです。
常々発話行為は、思考を文字におこすという行為に先んじるもの、と考えられているように思えるのですが、果たしてその認識は正しいのでしょうか。頭の中で思考を言語化し、それを口から発するか、それとも手から発するか。この二つに優劣なんてつけるのはおかしいのではないでしょうか……なんて。そもそも見せかけ上の優劣ですら存在していないでしょ、とか言われてしまった日には、何も言えないのですが。
はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~おっぱいおっぱい。
AVとか価値判断のお話
どうも、今日サークルに6時間半入り浸っていたことが発覚し、ほんのり虚無感に苛まれているヨシモトです。
突然ですが、皆さんはAVを見ますか?
そうです、アダルトビデオ。アダルトビデオというのは不思議ですね。というのも、基本的に字幕がない。そりゃそうですよね、字幕に邪魔されて「大事なトコロ」が見えなかったら大変です。まあモザイクありますけど。
ですが、これって考えてみれば不思議ですよね。映画のDVD版しかり、(テロップを含めば)テレビ番組のDVD版だって、字幕がついています。
なのに、AVにはそれがない……自国で完結させるという思いの現れでしょうか?ビバ、地産地消(洋モノは除く)。
と同時に、AVほど男性の理想を反映しているものはありません。それこそ最近では女性向けAVとやらも発売され始めたらしいですが、元はと言えば、男性が「抜く」ために作られたコンテンツです。そりゃ男性の思い描く男女のあり方が反映されるに決まってますわな。おっぱいおっぱい。
つまり、国ごとに男性の「理想的」男女関係を把握するには、AVから紐解くのが一番なのではないでしょうか???????
っていうお話。
ともう一つ。これは完全に余談です。例えば、○○が××のことを悪く言っていた、という事実があったとします。そして、××が○○のことを悪く言っていた、という事実もあったとします。
その場合、「どちらを信じるか」という話に発展させる必要はありません。事実は事実のまま、留めておけばいいのです。
・だから二酸化炭素はなくなるべきである
ここに論理的誤謬があるのは明らかでしょう。事実から「べき」という当為を判断するべきではありません。
むやみやたらに価値判断、ダメ、絶対。
AV見てえ…………
フリートーク
ども。花粉症かと思ったらガッツリ風邪でした、ヨシモトです。
私が所属しているサークルでは、フリートークを練習する活動があります。与えられたテーマに沿った内容で90秒話す。そして綺麗に話をまとめる。
いつも私は、構成メモ用紙に起承転結それぞれについて一行くらいで軽いメモを残します。そしてその要素要素をアドリブで繋いでいく……というスタイルをとっていました。
ですが先日、全く頭が働かず、アドリブがまったく出来ませんでした。
「これやべえな」。率直に、そう感じました。何より、恥ずかしかった。「フリートーク」力を高めるためには、今までの方針で問題ないと思うのですが、サークルの活動である以上、安定感を求めるべきなのではないか(つまらない話を相手に聞かせるわけにはいかないので)。
ではどのように改善していけばいいのか。
「要素を繋げる」フリートークから、「要素を削ぎ落とす」フリートークにすればいいのではないか、というのが私の至った結論です。
ただ、要素を「増やす」のではなく、要素を「膨らませる」べきなのではないかと。
たとえば、
リンゴを食べたいと思った
だからリンゴを買った
でも落としちゃった!
リンゴ食べれませんでした〜
が起承転結だとすると、
リンゴ食べたいと思いました
ミカンも食べたいと思いました
リンゴ買いました
ミカン買いました
リンゴ落としました
ミカン落としませんでした
リンゴ食べれませんでした
ミカンおいしくなかった…
極端な例だけど、これが起起承承転転結結。要素を「増や」したパターンです。
こうではなく、
私この前、リンゴ食べたいと思ったんですよ
っていうのも、好きな芸能人……小松菜奈!が、テレビでリンゴ好きだって言ってたんです!
だから私もリンゴ食べればその人に近づけるかなって……笑
それで、高級なリンゴを買ったんですよ!なんと一つ二万円!手痛い出費でした……
でも!なんとそのリンゴ落としちゃったんですよ!……まぁ、その原因も、テレビに出ていた小松菜奈に見とれていたからなんですけど笑
結局リンゴは食べられませんでしたが、そもそも好きな食べ物を寄せたところで近づけるわけありませんよね笑
といった具合に、起承転結の各要素を「膨らませる」べきなのではないかと。それも、盛り込む内容を
・一つ二万円
・(挙げてないけど)好きな芸能人の名前
・なぜリンゴを食べたいと思ったか?
とメモに書いておくべきだろう、と。
何を当然のことを、と仰るかもしれませんが、今までアドリブで乗り切ってきた人間にしてみれば新鮮な気づき(というより反省?)でした。
精進せねば。
あ〜〜〜〜〜フリートークゲロウマになりて〜〜〜〜〜〜〜〜〜
9月は31日まであるんやで
おひさ。ヨシモトです。
もう10月ですって。信じられます?
僕の中で今日は9月31日……いや、8月62日なのですが、たとえ僕の中で8月だろうと、世間では夏休みが終わり、そして今年もあと3ヶ月で終わろうとしています。
時間というものは、この世で一番「公平」な指標でしょう。「公平」というものは、往々にして残酷です。時間が足りない人にも、有り余っている人にも、等しく時間は与えられる。与えられ、流れる。
つまり何が言いたいのかというと、
頑張れ受験生!!!!なんつって。
カードゲーム合宿!
ばんわ。充電器を友人宅に忘れました、ヨシモトです。
昨日から今日にかけて、高校三年生の時のクラスメイトとお泊まり会をしてきました!
一応、カードゲーム合宿。しかし実態はそんななまやさしいものではありません……。
主催者は、なんと!!!元ポケモンカード世界チャンプ!!!!こんな人がクラスメイトにいたことがまず凄いのですが、その人から、「全く知らないカードゲームを教わりながら楽しむ」という趣旨の合宿でした。
やったゲームは、「コヨーテ」「犯人は踊る」「ごきぶりポーカー」etc…
しかも、友人たちの頭が無駄に良いのなんの。東大二人、一橋一人、明治一人、慶應一人、早稲田三人(私も込みで)……偶然ですが、ほんと奇跡的に文系の有名どころ集まりましたね。
ルールの飲み込みが早い人とやるゲームほど、楽しいものはないですよね。高校同期ってやっぱり好きだなぁ……と改めて思った私でした。
(撮影:明治の友人)
今回は平和に終わり!
リリーのすべて
お久しブリーフ。ヨシモトでござる。
昨日、『リリーのすべて』を観てきました。「は? 今更?」と思ったそこの貴方!
私もそう思います。
本当は普通に映画館で上映している間に観たかったのですが、色々な予定がその時期には詰まっており、観に行くことができませんでした。
しかし、つい数日前から早稲田松竹で上映されているという情報を聞きつけ、よっしゃ!ちょうど早稲田松竹に行く用事もあったしちょうどいいや!と観ることを決意。ダイナミック公私混同。
…………いや〜〜〜良い映画だ。
内容より、まず特筆すべきは主演エディ・レッドメインの演技力。「自分の中にリリーがいる」とわかってからの、主人公の一挙手一投足が、「女性」なんですよね。例えばそれはしなやかな腕の動きであったり、艶やかな表情であったり。単なる言動とは異なる、佇まいや所作。それであそこまで繊細な主人公の性を表現するなんて……いやはや、恐ろしい限りです。俳優さんしゅごひ。。。
内容で気になったのは、二つ。一つは、主人公は「男性として」「男性に愛される」ことに嫌悪感を抱いた点。「男性に愛される」ことを求めていた主人公でしたが、あくまでそれは「リリーとして」愛されなければ意味がない。ホモセクシャルの男性に、「ヴェイナーとして」愛されることは、拒んだのです。
不思議ですよね。いや、アイデンティティや性自認を考えたらこれは当然だと思います。自分はリリーなのだ、女性なのだ。ならば「男性として」愛されることはおかしい。納得がいかない……当然のことです。が、自分に好意を抱いてくれている相手が、自分をどのように見ているかなど、基本的にはわかりません。この作中では、相手の男性が「ヴェイナー……」と囁いたことで、主人公は自分が「男性として」愛されていることに気づきます。しかし例えば、そのセリフがなかったとしたら。主人公は、その愛を受け入れてしまっていたのではないでしょうか。相手が自分を「男」として見ているのか、それとも「女」としてみているのか、わからないのだから。
あくまで私たちが「見て」わかることは、「愛されている」という事実のみ(なんならそれすらわからないこともありますが)。でも、見てわからないことに縛られ、踊らされるのが人間です。人間は阿呆ですからね。踊らにゃ損損ってやつです。
もう一つ気になったこと。それは、主人公が「間違っているのは心ではなく身体である」という結論にたどり着けたこと。今でこそ、(あえてこの言い方をしますが)性適合手術なるものが、存在しますが、かつてはビョーキ扱いされた性自認と身体のズレ。にもかかわらず、主人公は身体が間違っている、自分の中に、確かにリリーがいる、と言い切りました。そしてヴェイナーの妻は、夫は女性であり病気ではないのだ、と医者に対し断言し、一歩も引きませんでした。
何が怖いって、これは今でこそ美談として語られるのでしょうが、当時は「妄言を吐き続ける夫」と「その妄言を信じる妻」としか見られなかったんでしょうね。性に対する認識の不安定さ……というよりも、社会における「認識」の流動性を改めて痛感した次第です。こわこわ。
いや、ほんといい映画見たなって感じです。
レポートもこれくらい筆が進めばなぁ〜〜〜
金欠ラプソディ
お金がない。どうも、ヨシモトです。
どうしてこんなにもお金がないのか。思い当たるフシは600000000個ぐらいあるのですが、強いて言うなら「遊びすぎ」。バイトもろくにせず遊び呆けた夏休み。そりゃ金欠になりますわ。
ちなみに、現段階での経済状況がこちら。
まずいですよ。貯金切り崩しまくりでござる。
ステキな企業や友人等から借金をしているわけではなく、あくまで貯金を切り崩している、というのがせめてもの救いです。が!真剣にヤバいですな。
夏明けからは、塾講師をしつつ他のバイトもかけもちたいのですが、バイトの選考結果がなぜか送られてこない現状。
ちなみに応募したバイトは、ベンチャー企業のメディア部門オープニングスタッフ……誰ですか、胡散臭いなとか言った人は。そうですあたすです。あたすが変な大学生です。
「服装自由」を謳った面接。私以外全員スーツ。そんな素晴らしい面接の結果はもはやわかっているのですが、不採用なら不採用で、早く教えて欲しいです。他のバイトに応募したいんじゃこちとら。
【急募】スポンサー