詩歌

 

 タイトル以上でも以下でもない。ヨシモトです。

 昔買った詩集を久々に読み返したら、発見がいろいろありますね。抜粋。

 

沖に光る波のひとひら

ああそんなかがやきに似た

十代の歳月

風船のように消えた

無知で純粋で徒労だった歳月

うしなわれたたった一つの海賊箱

(茨木のり子根府川の海』)

 

悧口なやつらは 死んだあとまで悧口だ。

決して女たちを愛したことの

なかったように、

草むらになってふまれることも

いとうにちがいない。

ぼくらも死ぬ。ただぼくらは

汚らしい希望に

だいなしにされて死ぬのではないのだ。

(飯島耕一『見えないものを見る』)

 

俺だの 俺の亡霊だの

俺たちはそうしてしょっちゅう

自分の亡霊とかさなりあったり

はなれたりしながら

やりきれない遠い未来に

汽車が着くのを待っている

(石原吉郎『葬式列車』)

 

 詩はいいですね、肌触りっていうか。言葉に舌を這わせて、質感を確かめていく感じ。幸せ幸せ。

 最近になって、「もしサークルに入っていなかったら、自分はどんな人間になっていただろうか」と考える機会が増えました。

 

なんだか眠りたりないものが

厭な匂いの薬のように澱んでいるばかりであった

だが昨日の雨は

いつまでもおれたちのひき裂かれた心と

ほてった肉体のあいだと

空虚なメランコリイの谷間にふりつづいている

 

おれたちはおれたちの神を

おれたちのベッドのなかで締め殺してしまったのだろうか

おまえはおれの責任について

おれはおまえの責任について考えている

(鮎川信夫『繫船ホテルの朝の歌』)

 

 好きな本にばかり触れていたら、どんなに楽しいか。好きな人たちに出会えていなかったら、どんなに悲しいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ifの世界を考えるのは、どんなに虚しいか。

我々の夢

 

  好きなことして死んでいく。ヨシモトです。

 

「好きなことで生きていく」じゃなくて、「嫌なことで死なない」(大原扁理, 『年収90万円で東京ハッピーライフ』)

 

 素敵な言葉です。

 でもこれってつまり、「好きなことで死ぬ」ってことで。

 好きなことで死ぬ。美しいです。美しくて儚くて。儚いから美しい? 因果があるんだかないんだか。

 「儚い」とは人に夢と書く。もう使い古されて誰が言い出しっぺかわかんないですけど、漢字といえば金八先生?きんぱっつぁん?

 

 人の夢は儚いです、たしかに。目覚めたら残ってないんですもん。でも、朝起きたとき、たとえいい夢でも悪い夢でも、なぜかほっとするのは何なんでしょう。賢者タイムか?

 

 泡沫の夢。うたかたって。そんな読み方ありかよ。

 泡が割れて、はじけて、零れ出る。夢か現か幻か。

 はいポエム。何が溢れるねん。夢の外へ連れてって。星野源。南を甲子園に連れてって。うるせえチャリで行け。

 

 始まった時に唯一決まってる未来が"解散する日"だなんて、こんな切ない世界があっていいものかって思いました。「みみばしるやりましょう、東京福岡大阪いきましょう、最終公演は3月3日です」というように決まったと思うのだけど、でもそれつまり3月3日に解散するってことじゃないですか。バンドじゃそんなことありえないんです、(中略)「本気でバンドやりたいからやろう、どこどこでライブしよう、でこの日に解散しよう」なんて、僕が知らないだけかもしれないけど聞いたことない。始まった時に終わる日が決まる世界。(あの日の叫びは嘘じゃない)

 

  バンドマンの文章は、どうしてこうもけだるげで、どうしてこうも心に染み込むのでしょうか。

 この前『みみばしる』で初めて生声を聴きました。ワタナベシンゴさんの、割れそうな、悲痛な叫び。

 醒めるから夢なんですよね。終わりが確約されているのが、夢。

 そういう意味では、演劇って「夢を見せてくれる」のかもしれませんね。

 

 同じく、ワタナベシンゴさんのブログより抜粋。

 

 なんだか不思議と大丈夫な気がしたんだ、本当だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだか頭が割れそうに痛いですね。

 

犬も食わないけど俺は読む

 

 あんこう鍋を食べたい。ヨシモトです。

 

 今回は本当に備忘録です。

 尾崎世界観千早茜共著『犬も食わない』から、好きな文を引用しました。山形県小国町に向かう新幹線で、ずっとこれ読んでたんですよね。合宿2日目には宿泊所のロビーでタバコ喫いながら読んだりもしてました。

 あ、合宿っていうのは、私が大学でやっている課外活動に関してで。まあその話はまた備忘録としてまとめます。

 話を元に戻しますと、『犬も食わない』は「男性目線」「女性目線」交互にストーリーが展開していきます。同じ事柄の背景が、両者で大きく異なる。人間ってそんなもんだよなぁ……って思いながら読んでました。

 

 うっすらと引かれたBGMの上を、割れないよう、そろそろと踏みしめて

 

 仕事を私事にすることができる

 

 意地もプライドも一緒に歳を重ね、大人になっていったんだろう。

 

 言葉だって、口の中に入れておけば誰も傷つかない。

 

 自分がいなきゃとか思ってんだったら間違いだからね。

 

 うん、いいですね。尾崎世界観の言葉選びってすごくわかりやすいんですよね。なまぬるくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分だけの色や温度のある言葉を紡がないと、つまんないですね。

みみばしる

 

 みみばしる、ってどういう意味ですか?ヨシモトです。

 

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 松居大悟監督『みみばしる』を観てきました。

 ラジオと演劇の垣根を越えた挑戦的な試み。ラジオも演劇も好きな自分はよだれダラダラ。最近劇団献身の『死にたい夜の外伝』しかり、ラジオと絡んだ演劇作品多くないですか? ラジオの復権がこういうところに表れているのかなぁ。

 でも正直なところ、企画の素晴らしさと心を打つ音楽に比して、俳優が微妙だったな……と思ってしまいました。期待しすぎていた感。

 

 松居作品はMOROHAといいTHE BOYS AND GIRLSといい、アーティストのセンス最高なんですよね。開演前に流れていた『東京』は観る側の気持ちを整えるのにぴったりだったし、ワタナベシンゴさんの生歌、なんか泣きそうになっちゃいました。どこか悲痛な叫びにも似た歌声。なんでメンバー脱退しちゃうんや。バンドマンじゃない人生ってなんだよ。

 クリープハイプの『バイト バイト バイト』の一節思い出しましたね。

 

ベーシストは就職活動を始めて 「俺あいつと結婚するかも」
久しぶりの会話はそれでした

 

 思えば、私が松居大悟さんを知ったきっかけはクリープハイプでした。『おやすみ泣き声、さよなら歌姫』は今でも一番好きな曲。MVから滲み出る、エグみの強い生活感がたまらなく好きだし、「現実」感を濃縮して「非現実」的レベルにする技術はピカイチだと思っています。

 松居さん主宰の劇団ゴジゲン、次回公演が楽しみだなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こういうエンタメにふれるからこそ、心が潤うんだよなぁ。どんな時も忘れたくない、大切なもの。

出会いと別れと就職活動

 先日、号泣した結果インターンに遅刻しました、ヨシモトです。

 

 なんで号泣したかといえば、答えは簡単です。昨日、お世話になった先輩方が、ついに巣立っていきました。サークルの卒業式。

 いくつになっても、お世話になった方との別れはつらいです。自分の悪いところは、お礼を面と向かって言うのが苦手なところですね。だから文明の利器あらためLINEを利用して、お世話になったな~と思った方々にメッセージを送りました。

 返ってきた言葉は、当然いろいろありました。「いままでありがとう」「自慢の後輩」「大好きな人」「これからもよろしく」……こんな言葉をかけてもらえた自分は、幸せ者です。お世話になった方はたくさんいますが、出会えてよかった人、超えられなかった人、大好きな人、誰よりも尊敬する人……一人ひとりに抱く感情は違います。

 さあ、自分が卒業するとき、どんな言葉をかけてもらえるでしょうか。私は、誰にとってのどんな存在なのでしょうか。

 

 でも、卒業するどの先輩も口をそろえて言うのは、「就活頑張れよ」でしたね。

 いや就職活動全然はかどりません。自分がどこでどのように働いているかのイメージが全くできません。

 ただ、急いでやっても無駄なのかな、と思う自分もいて。インターン先で採用に携わるようになって、思うんですよね。相手の意志の固さ、みたいなものが面接だとすごくわかるなぁ、って。バレるバレる、はりぼてバレる。

 就職活動を進めるにつれて自分が見えてくること自体はとても楽しいので、ゆったり自分を見つめていって、ありたい自分の姿や、自分の本質を見つけていきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつになくまじめなことイッちゃった。

赤ちゃんの泣き声が苦手です

 

 うなぎが食べたい。ヨシモトです。

 

 恥ずかしながら、私「赤ちゃんの泣き声」がとっても苦手なんです。

 でも、これを言うと大概こんな反論がくるんですよね。

 

「お前だって赤ちゃんの頃があっただろ!」

 

 これ反論になってなくないですか????

 黒板を引っ掻く音が苦手っていう人に対して「お前も昔学校で黒板を使ってただろ!」みたいな。

 

 音声情報として赤ちゃんの泣き声が苦手だ!って言ってるだけなのに、なぜ勝手に人を赤ちゃん嫌いだと決めつけるのでしょうか。声が嫌い=その人が嫌い、というわけではないでしょうに(でも僕はコウメ太夫の声もキャラクターも苦手ですが)。

 そもそも自分に赤ちゃんの頃があったからといってそれが好きかどうかと何の関係があるんですかね。赤ちゃんの頃がお前にもあったんだから許してやれ、みたいなことを言いたいのだとしたら、それもまたお門違い。苦手だから許さない、なんて順接はないわけで。許す許さないって何様だよって話ですわな。

 

 勝手に「苦手」を「攻撃対象」「許さない相手」にすりかえないでほしい。ありもしない行間を読まないの!

 おめでたい脳みそめ。ぺっぺっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 塾長から借りたDVD、早く返さなきゃなあ。

美味しいもの

 

 趣味がない。ヨシモトです。

 

 趣味がないというのは由々しき事態ですね。自分が何のために生きているのかがわからなくなります。

 

 でも先日、かつて野宿の教え子に言われました。

 

「ヨシモト先生って、多趣味ですよねー」

 

 「は?こいつ煽ってんのか?」

 って思ったんですよ。と同時に、自分の現状を見つめてみたわけですね。

 

 好きな芸人、バナナマン

 バナナマンのコントは大体見たことあるし、バナナマンのラジオも7年くらい欠かさず聴いている。出演している番組も初回は必ず目を通す(番組としてつまらなければバナナマンが出演していようが切る)。

 

 好きなバンド、クリープハイプ

 中1の頃から好きで、CDはシングルもアルバムも全部持っている。メジャーに出てからのアルバムは全部初回限定版。

 

 この時点で、思ったんです。

「あれ、むしろ趣味がないと言うこと自体が、自分の好きなものに対して失礼なのでは?」と。

 

 たしかに、趣味がある、って断言するのは気後れする……というか、叩かれそうで怖いですよね。「いや私の方が○○好きだし?!」みたいな。

 でもそもそも、お前の好きの度合いなんて知らねーよ、と。好きには色んなかたちがあるし、ほっとけよ、と。そう思い出してから気持ちがすっと楽になりました。

 

 好きなものを好きと言える、そしてそれを批判してくる人間がいたら問答無用でしばき倒せる世界になるといいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに趣味は何?ときかれたら、美味しいものを食べること!ということにしています。可愛いでしょ。