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無知無恥大学生ヨシモトの備忘録

※内容はフィクションです。

9月は31日まであるんやで

 

 おひさ。ヨシモトです。

 もう10月ですって。信じられます?

 僕の中で今日は9月31日……いや、8月62日なのですが、たとえ僕の中で8月だろうと、世間では夏休みが終わり、そして今年もあと3ヶ月で終わろうとしています。

 

 時間というものは、この世で一番「公平」な指標でしょう。「公平」というものは、往々にして残酷です。時間が足りない人にも、有り余っている人にも、等しく時間は与えられる。与えられ、流れる。

 つまり何が言いたいのかというと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頑張れ受験生!!!!なんつって。

カードゲーム合宿!

 

 ばんわ。充電器を友人宅に忘れました、ヨシモトです。

 

 昨日から今日にかけて、高校三年生の時のクラスメイトとお泊まり会をしてきました!

 一応、カードゲーム合宿。しかし実態はそんななまやさしいものではありません……。

 

 主催者は、なんと!!!元ポケモンカード世界チャンプ!!!!こんな人がクラスメイトにいたことがまず凄いのですが、その人から、「全く知らないカードゲームを教わりながら楽しむ」という趣旨の合宿でした。

 やったゲームは、「コヨーテ」「犯人は踊る」「ごきぶりポーカー」etc…

 しかも、友人たちの頭が無駄に良いのなんの。東大二人、一橋一人、明治一人、慶應一人、早稲田三人(私も込みで)……偶然ですが、ほんと奇跡的に文系の有名どころ集まりましたね。

 ルールの飲み込みが早い人とやるゲームほど、楽しいものはないですよね。高校同期ってやっぱり好きだなぁ……と改めて思った私でした。

 

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(撮影:明治の友人)

 

 今回は平和に終わり!

リリーのすべて

 お久しブリーフ。ヨシモトでござる。

 

 昨日、『リリーのすべて』を観てきました。「は? 今更?」と思ったそこの貴方!

 私もそう思います。

 本当は普通に映画館で上映している間に観たかったのですが、色々な予定がその時期には詰まっており、観に行くことができませんでした。

 しかし、つい数日前から早稲田松竹で上映されているという情報を聞きつけ、よっしゃ!ちょうど早稲田松竹に行く用事もあったしちょうどいいや!と観ることを決意。ダイナミック公私混同。

 

 …………いや〜〜〜良い映画だ。

 内容より、まず特筆すべきは主演エディ・レッドメインの演技力。「自分の中にリリーがいる」とわかってからの、主人公の一挙手一投足が、「女性」なんですよね。例えばそれはしなやかな腕の動きであったり、艶やかな表情であったり。単なる言動とは異なる、佇まいや所作。それであそこまで繊細な主人公の性を表現するなんて……いやはや、恐ろしい限りです。俳優さんしゅごひ。。。

 

 内容で気になったのは、二つ。一つは、主人公は「男性として」「男性に愛される」ことに嫌悪感を抱いた点。「男性に愛される」ことを求めていた主人公でしたが、あくまでそれは「リリーとして」愛されなければ意味がない。ホモセクシャルの男性に、「ヴェイナーとして」愛されることは、拒んだのです。

 不思議ですよね。いや、アイデンティティ性自認を考えたらこれは当然だと思います。自分はリリーなのだ、女性なのだ。ならば「男性として」愛されることはおかしい。納得がいかない……当然のことです。が、自分に好意を抱いてくれている相手が、自分をどのように見ているかなど、基本的にはわかりません。この作中では、相手の男性が「ヴェイナー……」と囁いたことで、主人公は自分が「男性として」愛されていることに気づきます。しかし例えば、そのセリフがなかったとしたら。主人公は、その愛を受け入れてしまっていたのではないでしょうか。相手が自分を「男」として見ているのか、それとも「女」としてみているのか、わからないのだから。

 あくまで私たちが「見て」わかることは、「愛されている」という事実のみ(なんならそれすらわからないこともありますが)。でも、見てわからないことに縛られ、踊らされるのが人間です。人間は阿呆ですからね。踊らにゃ損損ってやつです。

 

 もう一つ気になったこと。それは、主人公が「間違っているのは心ではなく身体である」という結論にたどり着けたこと。今でこそ、(あえてこの言い方をしますが)性適合手術なるものが、存在しますが、かつてはビョーキ扱いされた性自認と身体のズレ。にもかかわらず、主人公は身体が間違っている、自分の中に、確かにリリーがいる、と言い切りました。そしてヴェイナーの妻は、夫は女性であり病気ではないのだ、と医者に対し断言し、一歩も引きませんでした。

 何が怖いって、これは今でこそ美談として語られるのでしょうが、当時は「妄言を吐き続ける夫」と「その妄言を信じる妻」としか見られなかったんでしょうね。性に対する認識の不安定さ……というよりも、社会における「認識」の流動性を改めて痛感した次第です。こわこわ。

 いや、ほんといい映画見たなって感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レポートもこれくらい筆が進めばなぁ〜〜〜

 

金欠ラプソディ

 

 お金がない。どうも、ヨシモトです。

 

 どうしてこんなにもお金がないのか。思い当たるフシは114514個ぐらいあるのですが、強いて言うなら「遊びすぎ」。バイトもろくにせず遊び呆けた夏休み。そりゃ金欠になりますわ。

 

 ちなみに、現段階での経済状況がこちら。f:id:chainsaw828:20160919205330j:image

 まずいですよ。貯金切り崩しまくりでござる。

 ステキな企業や友人等から借金をしているわけではなく、あくまで貯金を切り崩している、というのがせめてもの救いです。が!真剣にヤバいですな。

 

 夏明けからは、塾講師をしつつ他のバイトもかけもちたいのですが、バイトの選考結果がなぜか送られてこない現状。

 ちなみに応募したバイトは、ベンチャー企業のメディア部門オープニングスタッフ……誰ですか、胡散臭いなとか言った人は。そうですあたすです。あたすが変な大学生です。

 「服装自由」を謳った面接。私以外全員スーツ。そんな素晴らしい面接の結果はもはやわかっているのですが、不採用なら不採用で、早く教えて欲しいです。他のバイトに応募したいんじゃこちとら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【急募】スポンサー

ボードゲーム合宿(?)

 

 くら寿司童貞をヌルッと卒業しました、ヨシモトです。

 

 私は昨日から今日にかけて、「ボードゲーム合宿(仮)」をしてきました。東工大に通う友人が主催のこのイベントは、慶應SFCに通う友人の家で開催されました。参加者はその2人に加え、所沢体育大学に通う友人、そして私。全員高校の同期です。

 

 やったゲームはカタン、そしてナショナルエコノミー。どちらもやりこめばやりこむほどテクニックが身についてくるタイプのゲームです(ゲームは概してそういうものですが……)。

 徹夜でやっていたこともあり、思考が停止することもしばしばありましたが、そのぶん名言も多く生まれました……今になって思うと「どうしてアレでツボッたんだ……?」と疑問が絶えない迷言も多々ありましたが……。

 

 ともあれ。「交易」「戦略」が非常に重要なこれらのゲーム。こういう類いに強い人間は本当に頭がキレる。主観100パーセント。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナショナルエコノミー、ずっとビリでした。

私の髪はクソ

 

 基本的にクリープハイプしか聴かないことに最近危機感を抱き始めました、ヨシモトです。

 先日、クリープハイプの『世界観』を購入した件は以前このブログにも書いたのですが、そのアルバムの特典DVDに収録されている短編映画『ゆーことぴあ』。この作品で祐介を演じている椎木知仁さんがどうも気になり、椎木さんの所属するバンドMy Hair is Badの曲を聴いてみました。すると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  んぁ〜〜〜〜〜しゅき〜〜〜〜〜〜

  

 自分の実体験を赤裸々に吐露する、サブカル女子がヨダレをダラダラ流しながら頭を上下に振るタイプの曲。えぇ、大好物ですとも。クリープハイプよりも青臭い感じもまたよき。

 どハマり、とまではいっていませんが、かなりかなり好きです。

 やっぱりアンテナは張り続けた方がいいなぁ、と思ったヨシモトでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が洋楽を聴く日はいつになるのやら……

 

シン・ゴジラ

 

 ゴジラ素人の私ですが、周囲の熱烈なプッシュもあり、先日『シン・ゴジラ』を観てきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高橋一生かっこよすぎるんじゃ〜〜〜〜〜〜

 

 

 うーん。なんと言えばいいんでしょうか、「見終わった後の満足感」よりも「見てる最中の興奮」が勝る映画、と言えば良いのでしょうか。最初から最後まで目の離すことができないという、言わば「映画のあるべき姿」だったように思えます。

 そしてなにより、ついつい見ている最中に考えを張り巡らせてしまう。

 たとえば、映画の序盤、ゴジラのCGに若干違和感があったのは、国の要人達がゴジラの出現に対して現実感を抱いていないことを暗に示しているのだろうか?とか、映画の終盤、長谷川博己が来ている防護服の裏に「AZEARTH」と書かれていたのは「あざーす」、つまり「ここで私の描きたいものは終わりですよ」というメッセージだったのか?とか……

 しかも、「ゴジラ」そのもの、及び「ゴジラの脅威」より、「ゴジラの出現の対応に奔走する人間」にフォーカスした作品っていうのもまた面白いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、ここまでプッシュされる程のものかなー……とか思ったり……