触れてきたことば

 

 次ブログを更新するのは、内定を確保してからにすると今決めました、ヨシモトです。

 

 こう見えて自分はことばが好きなので、最近触れたことばをぽわぽわ記録します。ほんとうに備忘録。

 

 正義だの善意だのを振りかざして「お前のために」と言いながら、他人の心とか身体とか時間とかお金とかあらゆるリソースを食い散らかす。友人だと思っていた人間が至近距離から刺してきて、自分を正当化する。構造的には水商売で起きることと何ら変わらないのに、現実はフィクションではなく現実であって、対価も支払われないうえに出口がない。(佐々木ののか氏のnoteより)

 

しかし、ほかにだれのところへも、どこへも行き場がなかったら! だって、どんな人間にしたって、せめてどこかへ行き場がなくちゃいけませんものな。なぜって、人間、いやでもどこかへ行かなくちゃならんときだってあるんですから!(ドストエフスキー罪と罰

 

遠い祖先の時代から長年にわたってサバイバルするために必要だった本能――差し迫った危険からとっさに逃れるための「瞬時に何かを判断する本能」、悪い予兆を聞き逃すまいとする「ドラマチックな物語を求める本能」――が、世界についてのねじれた見方を生んでいる。(中略)

良いか悪いか、正義か悪か、自国か他国か。世界を2つに分けるのはシンプルだし、直観に訴える力がある。これが「世界には分断が存在する」という考え方が根強く残っている理由である。そしてこうした考えが現在の世界の見方に、大きなバイアスをかけている。(しいたに氏による『FACTFULNESS』要約

 

良いは悪いで、悪いは良い。(シェイクスピアマクベス』)

 

 文字を摂取することをやめたら、自分が自分ではなくなっちゃいますからね。適量を楽しく摂取。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 就活は案外楽しい。

生きる理由は死ねない理由

 地獄の底からこんにちは、ヨシモトです。

 

 先日、「ヨシモトが生きる理由って何?」と尋ねられました。……あ。いや、いじめられてるわけではないです。単純に質問されただけです。

 

 結論から言うと、私には、「生きる理由」なんて高尚なものは存在しません。

 その代わり、「死ねない理由」があります。だから、生きています。死でない状態が生だからこそ、生きるという選択肢を選んでいる……と言えばよいでしょうか。

 

 死なない理由は二つ。

 一つ目は、勇気がないから。シンプルに、死ぬ勇気がない。多くの人は、そんな感じなのかなぁ、とぼんやり期待してます。……いや何を?わからないですけど。

 二つ目は、もっとはっきりしています。親への恩をまだ返していないから。シングルマザーですしね、なのに自分を私立の大学に通わせてくれて。感謝してもしきれません。でも親への恩ってどう返せばいいんですかね?……お金?長く生きること?わからないんですよね。でも、少なくとも「早く死ぬこと」で別に恩を返せるわけでないことはわかります。だから、生きてます。

 

 みんな難しく考えすぎなんじゃないでしょうか。

 考えてもわからないことを考えて疲れちゃうくらいなら、考えない、っていう選択をすることもアリなんじゃないでしょうか。

 それは「逃げ」でも「甘え」でもなく、一つの「選択」に過ぎません。

 結局のところ、自分にやさしくいられるのは自分だけです。なら、誰よりも自分にやさしい自分でいましょうよ。叱咤激励は他人にしてもらえばいい。なんなら、望んでないのにしてくるでしょう?

 人に迷惑かけないなら、何をしてもいいと思いますよ、私は。だから、まろやかに生きていきましょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とかいっても結局、自分に厳しい人は自分を責めるんでしょうね。あゝ無力。

#TaToo

 

 3/6はヨシモト生誕祭!ヨシモトです。

 

 最近、巷では #KuToo という動きが見られるようになりましたね。苦痛と靴をかけた表現で、女性のパンプス強制に疑問を呈するSNS上の運動。

 外見における非合理的な制限に、最近になってようやく批判の声が出てきました。いや、多分もともと出てきてはいて、SNSが浸透したことでその声が表面化した、ってだけだとは思うんですよ。

 

 一億総評論家時代とはよく言ったもので、意見を世界に発信すること自体は容易になりました。でもそのぶん批判もしやすくなって。傷ついていた人々が声をあげた結果、無意識のうちに傷つけていた人々の意識改革に繋がった。そして、想像力の足りない加害者、ひいては「強い」被害者は、声をあげることそのものに対してバッシングする。

 

 構造が複雑になってるんですよね。もはや二項対立の問題じゃない。最近はやりのビジネス本『FACTFULNESS』にもそんなことが書かれていたような、書かれていなかったような。二項対立で人は物事を捉えたがる……的な。入試現代文にもその原因の一端はあるような気がするなぁ、とも思いつつ。論理展開が楽なんですよね、二項対立だと。

 

 自分が一番不可解だと思ってるのはタトゥーですね。日本のタトゥーに対する偏見やばくないですか? 「温泉入っちゃダメ」ってそれもう完全にアウトでしょ。平等どこいった。「刺青=罪人」という過去の構図をそのまま引きずってるのか、それとも「刺青=暴力団関係者=あまり入れたくない」的な発想? 何はともあれ、論理の飛躍は否めない気が。

 

 自分自身タトゥーを入れたいし、ピアスだってバチボコ開けたいんですけど、温泉好きだから入れられないし、耳だって古い価値観の親からめちゃめちゃ反対される始末。TBSのクレイジージャーニーとかでは、ボディハッキングをクレイジーと評しているわけですから、うーん。結局何も変わってないじゃん。つまんない。

 

 文化先進国なんてどこ吹く風。GGGIも110位だし、日本がどんどん出遅れててあたし寂しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人の価値観を変えられるアセットを持った企業に就職したいですね。

 

 

下等な身の上話

 

 自分の凡人っぷりに悲しくなる時があります、ヨシモトです。

 

 身の上話、っていうからには服の話でもすればいいのでしょうか。とか思ったんですけど、まあそんな小粋なジョークの気分ではなく。

 

 3/1から就活が解禁されました。いやベンチャーもっと早くやっとるやん。なんならもう祈られ済みだわ。

 自分は就職支援?的な企業で長らくインターンをしているのですが、いざ自分が就活するとなると辛いものがありますね。食い扶持がかかってる感じ。プレッシャーですわ。

 やってること自体は楽しいんですけどね。世の中の仕組みとか、自分の信念とか、向き不向きがわかっていくことは気持ちがいいもんです。

 

 多分、就活において「譲れないもの」って各々あると思うんですよ。「アナウンサー」といった職種的なものであったり、「福利厚生」といった生活スタイルの類であったり。

 それでいうと、私は「高収入」が何よりも優先事項です。シングルマザー家庭だと、やっぱり金に困った思い出がたくさんあるんですよね。嫌な思い出。

 その嫌な思い出を振り払うかのように、今日もノートに色々書きなぐっては「あーだめだなー」とか言いながら、訪問先の喫煙所でタバコを喫います。英語勉強してれば、外資とかも目指したんですかね。うーん。 

 

 だいたい、人間は何をいちばん恐れている? 新しい一歩、自分自身の新しい言葉、それを一番恐れているじゃないか……

 人間というやつは、いっさいを手中にしているくせに、弱気ひとつがたたって、みすみすそのいっさいを棒にふっているわけなんだ

 

 どちらも、『罪と罰』 のラスコーリニコフの言葉ですね。あれ、ラスコリニーコフ?わかんなくなっちゃった。

 今になって、「どうして自分はもっと色んなことをやっておかなかったのだろう」という後悔が後を絶ちません。嫌な思い出や後悔は簡単に頭を支配するのに、幸せの効果は一瞬ですよね。

 

 学生という立場を活かして、もっといろんな世界に飛び込んでおけばよかった。凡人であるからこそ、多くを学ばなければいけなかったはずなのに、凡人であることを痛感するのが怖くて、動けなかった。つくづく自分はザコです。恥の多い人生。弱気と短気は損気。

 こんな一丁前に反省しておきながら、多分今日家に帰ったらラジオを聴いて時間を溶かすんです。反省するだけなら誰にでもできる、謝るだけなら猿にでもできる。

 全てを65点くらいのクオリティでこなせる器用な凡人が、なんの努力もしなかった結果が、このザマです。嫌になるなぁ。

 

 なんて。自分が身命を賭してやりたいことなんて、自己弁護くらいなのかもしれませんね。人間と触れ合える仕事ならなんでもいいのかもなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あーあ、買ってない宝くじ当たらないかなぁ。シュレディンガーの宝くじ。

昼ごはんを食べるということ feat.生の自己決定権

 

 最近原因不明の脇腹の痛みに悩んでいます、ヨシモトです。

 

 お腹痛いと、食事に集中できないから嫌なんですよね。特定の趣味がない自分にとって、食事くらいしか楽しみはなくて。

 作家の伊藤比呂美さんは、「自分の生き方を自分で決めることが難しいなら、まずはその日の昼に何を食べたいか考え、何を食べるか決める。そこから始めるといい」的なことを講義でおっしゃっていました。

 

 思えば、自分の生き方に悩んだことはあまりないんですよね。なりたい自分を考えて、必要なノルマを自分に課して、クリアしていく。このシステムであれば。他人を巻き込まず自分が痛い目を見るだけという構造が保たれています(成功率が低いくせに)。

 それを当然のように出来ていたのは、昼に何を食べるか毎日決めていたからかもしれませんね。今も渋谷の道玄坂で日々ランチを開拓しています。

 

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 今日も今日とて飯がうまかった。

 

 あと最近花粉マジでやばくないすか?

 花粉に目をやられるのが嫌で、電車では目をつぶるようにしています。すると、爆睡して寝過ごしちゃうんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事だけじゃなくて睡眠も自己決定したいですね。

詩歌

 

 タイトル以上でも以下でもない。ヨシモトです。

 昔買った詩集を久々に読み返したら、発見がいろいろありますね。抜粋。

 

沖に光る波のひとひら

ああそんなかがやきに似た

十代の歳月

風船のように消えた

無知で純粋で徒労だった歳月

うしなわれたたった一つの海賊箱

(茨木のり子根府川の海』)

 

悧口なやつらは 死んだあとまで悧口だ。

決して女たちを愛したことの

なかったように、

草むらになってふまれることも

いとうにちがいない。

ぼくらも死ぬ。ただぼくらは

汚らしい希望に

だいなしにされて死ぬのではないのだ。

(飯島耕一『見えないものを見る』)

 

俺だの 俺の亡霊だの

俺たちはそうしてしょっちゅう

自分の亡霊とかさなりあったり

はなれたりしながら

やりきれない遠い未来に

汽車が着くのを待っている

(石原吉郎『葬式列車』)

 

 詩はいいですね、肌触りっていうか。言葉に舌を這わせて、質感を確かめていく感じ。幸せ幸せ。

 最近になって、「もしサークルに入っていなかったら、自分はどんな人間になっていただろうか」と考える機会が増えました。

 

なんだか眠りたりないものが

厭な匂いの薬のように澱んでいるばかりであった

だが昨日の雨は

いつまでもおれたちのひき裂かれた心と

ほてった肉体のあいだと

空虚なメランコリイの谷間にふりつづいている

 

おれたちはおれたちの神を

おれたちのベッドのなかで締め殺してしまったのだろうか

おまえはおれの責任について

おれはおまえの責任について考えている

(鮎川信夫『繫船ホテルの朝の歌』)

 

 好きな本にばかり触れていたら、どんなに楽しいか。好きな人たちに出会えていなかったら、どんなに悲しいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ifの世界を考えるのは、どんなに虚しいか。

我々の夢

 

  好きなことして死んでいく。ヨシモトです。

 

「好きなことで生きていく」じゃなくて、「嫌なことで死なない」(大原扁理, 『年収90万円で東京ハッピーライフ』)

 

 素敵な言葉です。

 でもこれってつまり、「好きなことで死ぬ」ってことで。

 好きなことで死ぬ。美しいです。美しくて儚くて。儚いから美しい? 因果があるんだかないんだか。

 「儚い」とは人に夢と書く。もう使い古されて誰が言い出しっぺかわかんないですけど、漢字といえば金八先生?きんぱっつぁん?

 

 人の夢は儚いです、たしかに。目覚めたら残ってないんですもん。でも、朝起きたとき、たとえいい夢でも悪い夢でも、なぜかほっとするのは何なんでしょう。賢者タイムか?

 

 泡沫の夢。うたかたって。そんな読み方ありかよ。

 泡が割れて、はじけて、零れ出る。夢か現か幻か。

 はいポエム。何が溢れるねん。夢の外へ連れてって。星野源。南を甲子園に連れてって。うるせえチャリで行け。

 

 始まった時に唯一決まってる未来が"解散する日"だなんて、こんな切ない世界があっていいものかって思いました。「みみばしるやりましょう、東京福岡大阪いきましょう、最終公演は3月3日です」というように決まったと思うのだけど、でもそれつまり3月3日に解散するってことじゃないですか。バンドじゃそんなことありえないんです、(中略)「本気でバンドやりたいからやろう、どこどこでライブしよう、でこの日に解散しよう」なんて、僕が知らないだけかもしれないけど聞いたことない。始まった時に終わる日が決まる世界。(あの日の叫びは嘘じゃない)

 

  バンドマンの文章は、どうしてこうもけだるげで、どうしてこうも心に染み込むのでしょうか。

 この前『みみばしる』で初めて生声を聴きました。ワタナベシンゴさんの、割れそうな、悲痛な叫び。

 醒めるから夢なんですよね。終わりが確約されているのが、夢。

 そういう意味では、演劇って「夢を見せてくれる」のかもしれませんね。

 

 同じく、ワタナベシンゴさんのブログより抜粋。

 

 なんだか不思議と大丈夫な気がしたんだ、本当だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだか頭が割れそうに痛いですね。