詩歌
タイトル以上でも以下でもない。ヨシモトです。
昔買った詩集を久々に読み返したら、発見がいろいろありますね。抜粋。
沖に光る波のひとひら
ああそんなかがやきに似た
十代の歳月
風船のように消えた
無知で純粋で徒労だった歳月
うしなわれたたった一つの海賊箱
悧口なやつらは 死んだあとまで悧口だ。
決して女たちを愛したことの
なかったように、
草むらになってふまれることも
いとうにちがいない。
ぼくらも死ぬ。ただぼくらは
汚らしい希望に
だいなしにされて死ぬのではないのだ。
(飯島耕一『見えないものを見る』)
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
(石原吉郎『葬式列車』)
詩はいいですね、肌触りっていうか。言葉に舌を這わせて、質感を確かめていく感じ。幸せ幸せ。
最近になって、「もしサークルに入っていなかったら、自分はどんな人間になっていただろうか」と考える機会が増えました。
なんだか眠りたりないものが
厭な匂いの薬のように澱んでいるばかりであった
だが昨日の雨は
いつまでもおれたちのひき裂かれた心と
ほてった肉体のあいだと
空虚なメランコリイの谷間にふりつづいている
おれたちはおれたちの神を
おれたちのベッドのなかで締め殺してしまったのだろうか
おまえはおれの責任について
おれはおまえの責任について考えている
(鮎川信夫『繫船ホテルの朝の歌』)
好きな本にばかり触れていたら、どんなに楽しいか。好きな人たちに出会えていなかったら、どんなに悲しいか。
ifの世界を考えるのは、どんなに虚しいか。