地図をビリビリに破りましょう

 親知らずがついに口の中から消えました。ヨシモトです。

 

 二度目の紹介になりますが、やっぱり「なんのために生きるかを知る人間はどのように生きることにも耐えられる」ってフランクルの言葉は改めて至言だなぁ、と。

 なりたい自分の姿があって、そのために何をするか。もしくは、なりたい自分の姿のためにはその前段階があって、じゃあそのために何をするか。逆算で生きていくことが、自己実現への近道なんですよね、結局。

 考えてみれば受験勉強なんてその最たるもので、「○○に受かるためにはこれくらいの自分でいる必要がある→それくらいの自分になるには××ができる必要がある→××ができるには☆☆をやる必要が……」といった、現状分析を経た課題解決能力を試されているんだなぁ……とか言いながら、出来ていたかといったらまあ察してくれって感じですわな。

 

 就職活動もそうなんでしょうね、結局。「自分はこうなりたい→そのためにこう生きたい→こう生きるためにこのように働きたい→このように働くにはこの企業に勤めたい→この企業に勤めるには自分はこうである必要がある→こうなるためには……」ってやってれば、大きくは外さなそうです。

 

 ただ厄介なのは、受験も就活も、「相手が求める自分の姿」がわからないことですよね。わかりゃ苦労しねーわ!みたいな。でも不思議なことに、今まで生きるにあたって相手の求める自分の姿を模索してきたからでしょうか、全く苦じゃないんですよね。「相手が求める自分の姿」について考えること。

 

 むしろ自分が嫌なのは、「逆算するためにはゴールを定める必要がある」って部分で。

 見えないからこそ、未来ってワクワクする。だから、「今」「ここ」を生きたい。ある種享楽的に、そのときそのときを生きたいんだよなぁ。だってその方が楽しいじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「型破り」は型を知らなきゃ出来ないし、「掟破り」も掟を知らなきゃ出来ない。だから自分は、自己実現への道をきちんとみたうえで、しっかりバッコリ踏み外していきたいと思います。