「生きる」土俵から降りられない

 

 自分に固有の何か。

 自分の目の前に現れた何か。

 闘わなければいけない何か。

 逃げたい何か。

 ただそこにいる何か。

 好きで好きでたまらない何か。

 

 あるんじゃないですか? 皆さん。

 

 

 なんでもいいんです、バイトだろうが恋愛だろうがマスかきだろうが、なんでも。

 

 でも、そんな「自分を自分たらしめる」こいつらを見つけた瞬間に、僕たちは「生きる」ことから降りられなくなってしまう。土俵に乗った覚えはないのに、気がついたら土俵の上。なんなら俎上。鉄板の上ではないと信じたい、くらいの感じ。

 

 世界に一人だけの存在になりたい、ナンバーワンよりオンリーワンだ、とか切望しておきながら、いざそうなってしまったら、もう降参はできないんですよね。代わりがいないから。まあ解散は出来るかもしれませんけど。いちぬけした森くん、先見の明アリアリ。

 

 降りられないなら、楽しむしかないですよね。

 今まで生きてきたという事実は、俎上にいるという事実は、残念ながら、そして幸いにも、確かにここにあるんですから。これを否定できない私たちは、生きざるを得ない。邪悪なものが寄ってきたら、握りしめた塩を撒けばいい。包丁なんて白刃どりすればいい。焦げた足は、洗いましょう。足を洗ってリスタート。黒焦げ皮膚を、水に流す。

 

 そんな水よろしく、運命というものはリキッドタイプ。いつでもチャプチャプ耳障り。二度と同じ顔を見せてくれない。そのくせ、きちんと沸点がある。凝固点がある。ちゃらんぽらんな流動体ごときの求めるコンマ何度の正確さが、たまらなく理不尽だなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頑張れあたし、明日はいい日だ。